junna-note

It's notes of spirit journey like my daily recorded that's a thing for share with this world as well.

93 ~ 7/10 (wed)~

93 ~ 7/10 (wed)~

人間の問題が大き過ぎて僕は手に負えない絶望感に打たれる。 それでも更に現実は追い討ち来たりて次の状況好転にも繋がらず愛や存在への心も気力も成り立たぬ。 真の解決に至れぬばかりか、昨夜の倫子のように(少し助けにもなってはくれたが)、言えた事の最少中の10分の1どころか、その背景,経過,想い,状態など気付こうともせず(気付こうとした上でだとしたら、やはり交感の能力が足らず)知性の度合いや共有感性の近さ等としてでもなく人間の問題は母やメグの事から離れられても、付いて回り離れてはくれない。 その状況を打破する、又はその中でも生き抜く(又は死ぬ)為の自身ではあるのかもしれぬとも、その課題に向き合い続ける生は(自身こそが愛となるへ未だ出来る事もあるし、その挑戦も続けるつもりだが、)(まずは現況の危機を避けねばならぬが、その選択肢も出て来ず)現実的実際に苦しいばかりだ。

自身面にとって事実で正しいならば(最低限だとしても)返そうとしてしまう部分は母や妹とも共通で、僕に言われた母もこのような気持ちなのだろうとは分かる。が、あまりにも相手を聞き理解(しようと)した上での意見の表出ではない話し合いの土台としてのレベルの違いという面では、やはり噛み合わず共通の感覚や経験または理解しようとした上での対話等がなければ、誰とであってもそうした人間との折り合いは取れない。

けれど話が通じれば更にを求めてしまう上に、結局どこかで伝わらなければ(それは聞かず反論する相手の責任が大きいのは確かだが)そこでの疲労や反応も大きくなるのを最初から諦めさせようとしてくれているのかもしれず、僕は反応せず受け入れるだけでなく対話や言語からも抜けていく事を流れからもの課題として求められているのか? しかし話し合う無益さを知ったとしても、そして自身を押さえ込む苦しみを経てさえも目指し達せぬとならぬとしても)言葉による又は共有は必要のものではないのか?


だが人それぞれの各分において出来る事を行いて生きられるを目指しても良いと思うのだが、それだけでは人に伝わらず嫌なことでも行えという気力的精神論に陥り易いにおいても、病気だから出来ぬ人も居るし出来ない状況もあるからと説明する材料になる(だからといって、その言い訳の為に病気の居心地を自己等へもたらすのではなく)言葉の用い方や有益性もある。

又、他者と関係するにあたり(何処まで深さを求めるかはともかく)必要な共有点は生まれて来るではないか。 しかしそれも、各自内面の精神性以外の周辺外界物は(精神性に影響を及ぼす美的効用物などの以外には)基本的に生活具体の必要物が在れば良い(しかもその方向はミニマリスト的に)というように伝達可能性も最低限の具体や技術面だけの関わりとなり、思想やミームとしての伝達は思想書や論文,メディア等又は政治的な場や暴動なども含めた文化的行為のみの物として扱い諦め、(又はそこからも傍観性へ離れ)それ以外の人同士との関係などからは離れてもいるが良くなるしかないというのか? 人間関係は互いの利便性の為の協力関与の共有,伝達,適合模索などの具体最少以上には求めてはいけないという事なのか?

しかし今日も人と話した(し疲れもする)が噛み合わぬ部分もある人とも、ちゃんと聞き非同意も調整も自身の意見を最低限に挿し入れながら話す事もが出来ているように、僕の話し方(や書き置いた事も余計な説明へ更に長くせぬ為にも伝える範囲が狭すぎているわけでもないと思えるように)が悪いわけでもなく、過度に自身の能力や方法を卑下せぬとも良く、やはり理解しようとせず捉える相手(の問題やその者自体)が悪過ぎているようにも思われはする。

基から人間嫌いなのでもなく私への状況が人間,人為からの世の問題解決の難しさへと追いやり、関係を持とうとする事さえを許さず、(だからといって安易な人為の否定,攻撃や諦めによる無関与へ至ってしまうのでもなく)その中での統合と到達点を見い出す為の学びではあるを生かされてはいる。

しかし、諦めは大切だし絶望からの消極的選択だとしてにも超越へ導かれ突き抜ける可能性もはあるが、それでも苦しい故の不可避選択として人為からの排除と孤独へと追いやられるのは苦痛による前進の強制的手段でもあり、又は現在段階と全てへの肯定により進展を止める非成長的逃げとしての放棄であるとも思われるように、その諦めの質への分別判断は(方向性欲求という効用の持たせ方としても)必要,大切な事とも思われるのだ。< 母の事、倫子へのmail。7/6 (sat) 19:19

行ってみたいとも思うけど母と居るのは、今なら大丈夫かな。と思った時でも実際は身体に反応出過ぎたりもして、きつすぎてしんどい。

自分も押さえつけなきゃいけなすぎて、もう何をどう言ったら良いかも分からなくなってしまって絶望感しかなくなる。

母の状況あるのも分かってるけど、自分は他人を責めても良くて自分は何一つでも言われたら嫌で開き直り否定するのも、只でさえ生きてるのが精一杯なのに追い詰められる態度(聴かぬ事も被害者ぶるのも)されるだけでも苦しくて仕方ない。

なんで全て俺の問題にされるの? 私の事が憎いなら。とか何も話聞かずに勝手に転換されて僕の言った事は、ひたすらに無意味。

最低限の会話さえ出来ぬを諦めろと俺に押し付けるんだから、お前は誰に話し聞いて貰えず否定されても一切の口答えもせず怒らず絶対に受け入れろよ! どうせそれも出来ないくせに自分だけは棚上げで人の否定しかしないくせに!と、少し考え出すだけで苦しくなってもくる。

俺は変わるを試して来ても、何も変わらなかった。 他者へ求めないと言っても、こちらだけ何も言えず押さえ込んでいて母が何も変わってくれないのならば一緒にいるのは、もう病的にも無理だ。という所まで来ていて、こんな声さえを吐き出す事も出来ない。

爆発を押さえるだけでも相当の努力なのに気が狂いそうになる程に追い込まれる。 何もが無意味すぎて、人へ話し伝える言語化能力も、それを試す事さえも奪われている。

お前に求められているのは飯作ることじゃなくて、人を認める事だ! 離れて暮らせば全て良い訳ではないが、この状態の上で更に同じ空間に住むなんて不可能だし正気の沙汰じゃないよ。 誰か本当に助けて欲しい。 生きてる苦しさに追い討ちをかけないで欲しい。 幾らお願いしても、聞いてもらえないけどね。

7/9 ~旅に行ったら?という返信に対して~

お金がありません。 今のままじゃ冬に出るのも難しいでしょうし、自分の場所も有りません。 もうお母さんからの嫌がらせのような状況に追い詰められて自分だけ耐え続け、吐き出す事も出来ないのは限界です。

僕の行く処がないならば、これ以上の危険を避ける為にも何故、小布施に行くなどの対策もしてくれないのでしょうか? どうすれば良いかの相談すらも出来ませんし、直そうともしてくれないなら一緒に暮らすのは拷問です。

怒るのも嫌でしょうが、あれでも以前のような爆発は押さえられていますし膨大に溜めている物の一部が、ほんの少し出てしまった程度ですし関わらないように努力しているだけでも既に精一杯です。 言っただけ僕が悪くなりますが言わずにいるのも辛過ぎて只でさえ病気なのに更に不健康で、それさえも聞いて貰えず何もかも無意味となり、自身内部も関係もが悪化していくのは必死に直そうとして来た僕のせいだけでもないのです。

爆発さえも出来ていないし、また爆発してしまうかもしれぬのも怖いのです。が母は止めてはくれず、この現実が突きつけられ続けるのは遠くの戦争よりも毒で地獄です。 苦しいし、怖いです。 誰も助けてはくれません。 死にたくなりますし、もう絶望感には折れてもいます。 只、認めるだけの愛になるへ独り闘い続けるのに疲れ果てています。

傷つけられても認めるのは課題ですが、それだけを押し付けられて傷付けないで欲しいという声は否定されるばかりです。 人が嫌がる事は止めようとするという当たり前を求めてはいけませんか? 直すのでもなく開き直られるばかりです。

世に関われるかの前に、ここで打たれ絶望へ折られ哀しみと人間への不信や悲観を自身化され続けています。 もうこんな人生が辛すぎて、未だ死なぬとはしても自分の能力や可能性も殺されていく中で少しでも前進し生き続けようとするのも苦しくて仕方ないです。

これも僕の声や想いの一部と断片でしかありませんが伝える事も否定されていますし、無駄なのに読めるように手紙に書くのも疲れます。 この前のメールもですが、これを母にも出来たら読んで貰って下さい。 これが、他に何も出来ない僕の精一杯の行為です。

苦しいといっても以前より度合いは余程に良くなりました。 しかし何も改善されない事に絶望感や何処にも吐き出せず伝える事すら出来ず押し込め無理していく影響も、爆発してしまうかもしれぬ事もは何度も言いますが怖いです。 限界なので助けて下さいというのは本音です。

7/10 ~理解なく的はずれな返信に対して~

全然違います。母の顔みる度に押さえ込んでいて暴言など、ほぼしていません。 今も昨日もあなたのメールにも怒りで返すを押さえられています。 僕はほんの一部しか出せていませんが、それでも家のことも母への望みも、何を言って来たかも分からず伝わっていないのですね。 ただ駄々をこねてるのでもありませんし、しかし弱いのも限界なのも本当で協力してもらいたい事については伝えようとしています。 母どころか、あなたにも無理なようですが。 家や母や自身の状況のことなど色々ありますが無意味なので今は書きません。 ただ母には見せて下さい。 他に書く場すらなかったものですから。 けれど、あなたには母へのこと書くのが、そんなに嫌で迷惑となっているとは思っていなかったので巻き込んですみません。 あなたからも理解なき攻撃や排除がされるとは思っていませんでしたし。 これでも最低限ですが、それさえも置ける場所がないのですね。 昨夜はありがとうございました。 孤独に耐え続けるだけより、助かりました。 只、希望は見えませんし、どうしたら良いのかも分かりませんが。 返信は頂かなくて結構です。 もう苦しみたくありませんし、今は僕も母などへ伝えるのを我慢しますから。 しかし怒りでなくとも(もう始めから怒ってもいませんでしたが、それでも母から否定しかないのが続いたので押さえ込む以外の出し方は怒り以外に分からなくなってもいます)少しでも話が出来る関係や場所がないと苦しみが(勿論苦しみは母の事だけではありませんが)酷くなるのも変わらないでしょうが。

返信はしなくて良いですが、したければしてくれても構いません。 が、昨日のような表面だけでの否定をされるのは嫌ですので止めて下さい。